爬虫類に雨が降る-Reptile waits for their days-
「岬の灯台殺人事件」 ~ 四つ子の事件簿第6話 ~
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Ⅰ章 - 2
俺たちは高い吹き抜けの下のホールでソファに腰を下ろした。どこか学者然としたウィンスロー氏は堂々とした体格の大男で、俺より10ほど年上かな、という印象だった。彼は声をひそめて話し始めた。
「その空港での事故というのは爆弾テロだそうです。到着便の荷下ろし作業中に荷物の一つが爆発したんだとニュースで言っていました。ミサキが乗って来た便です」
俺は肩を落とした。その手の話になると、やつはむしろ被害者より加害者になりかねない。誰の犯行か知らないが、その爆発が岬を狙ったものだったとしても俺は驚かない。あるいは岬が誰かを狙ったものだったとしても、だ。
「で、俺への伝言ってのは岬自身からだったんですか?」
「そうです。到着が遅れることと、あなたのことを頼まれました。あなたの訪英の目的について、です」
それは手回しのいいことで。どんな理由であれ、あいつが遅刻を早々と知らせて来るとはずいぶん律儀になったものだ。あいつも歳相応になったということか。
ウィンスローはいったん言葉を切るとポケットから革表紙の手帳を取り出した。両掌にそれをはさんだまま、じっと俺の目を見つめる。
「あなたが会見を申し出ておられる人物はここの湾をはさんで反対側の岬に住んでいます。彼は普段は自宅に閉じこもっていて外部の人間との接触を絶っていますが、月に一度、村に姿を見せます。市が立つんです」
「市…?」
「このへんでは買い物もままなりませんからね。近辺の村から農産物や日用品を持ち寄って開かれる市は生活に欠かせないんです」
彼は1人でふらりと現われ、ゆっくりと時間をかけて買い物をするのだそうだ。村人に言わせるとこのあたりの1人暮らしの老人と同じく、買い物よりもそうやって他人と触れ合うのがたまの楽しみという風情らしい。
「1人暮らしなんですか?」
「通いの使用人が1人います。彼の家に通じる道はないので、小船で岬の突端まで行くそうです。食事などはその使用人が毎日世話しているのでしょうな」
俺はちょっと考え込んだ。その老人こそが俺の追っているある事件にもっとも深く繋がっているはずの人物だった。元国連事務次官ウィリアム・N・ローバン。4年前に引退して遠くイギリスの田舎に引きこもってしまったことを知った時、俺は何か勘に引っかかるものを感じたのだ。
俺はすぐさま岬のデータバンクに――もちろん無断で――アクセスし、手掛かりが何かないかと調べようとした。岬はあっさりそんな俺の首根っこを押さえたのだが、理由を話すとなぜか協力を申し出てきたのだ。
もちろんそれがあいつのボランティア精神だなんて信じるほど俺はおめでたくはないが、やつの下心に目をつぶってでも、俺はローバンに接触したかったのだ。
こうして岬はフランスのどこかから、俺はヴァージニアの山中からここイギリスの片田舎で落ち合うべく相談をまとめたのだったが、さて、のっけからこの騒ぎとなると、やはり先行きは楽観できそうにないな。
俺は再び相手の顔に目を戻した。
「で、あなたなら彼に会えるようにしていただけるわけですね」
「ええ、ただし確証があるわけではありませんよ。私はミサキの熱心な要請にちょっとした好奇心を持っただけですから。つまりローバン氏が住んでいるあの岬の家はかつて私の祖父のものだったんです」
「ほぉ…」
俺は思わず声を上げてしまった。岬のチェス仲間だというこの男がどこまで岬の正体を知っているのか、それはわからない。しかもチェスと言ってもオンライン対戦の相手だと言うから、直接面識があるかどうかも疑わしい。
「お茶、飲みますか」
話の途中でウィンスローは席を立った。これがこの国の習慣というなら俺はあえて反対はしない。正直俺は腹が減っていた。
俺はちょっと考えてから立ち上がってウィンスローを追った。ホールから4、5段の階段を下りるとそこがダイニングだった。いや、正確には大テーブルがでんとその中央に置かれた台所である。ウィンスローはやかんを手に振り返って照れたように笑った。
「あなたにはアンラッキーでしたね。着いたその日がセルフ・ケータリング・ナイトだったなんて」
なんとまかないのおばさんの休日が毎週金曜日と決まっているのだそうだ。自炊日。まあそういう考え方もあるわけだ。特に長期滞在の客たちにとっては自炊くらい苦ではないらしい。はるばる地の果てまで鳥を見に来るような連中には、これもキャンプの延長みたいなものなのだろう。
「ティーバッグですみません。お茶のカンがどうしても見つからなくて」
ウィンスローはまるでそれが英国人全体の恥であるかのように恐縮してカップを差し出した。俺は愛想よくそれを受け取る。
「なあに、このひどい旅の果てにありつく一杯になら、外のカモメ達だって文句は言わないでしょう」
「あれはカモメなんかじゃありませんけど」
カップをそのまま口に運びかけた俺は、背後からの声にあわてて背を伸ばした。
「シロカツオドリって言っていただきたいわ。あるいはカワウ」
「ジェニファー、ソリマチ・サンは専門家じゃないんだ。それに今のはたとえ話じゃないか」
ウィンスローは大げさに両手を広げて苦笑して見せた。振り返った俺の目に、長いブロンドを後ろでひとくくりにしただけのそっけない服装の、しかしなかなかの美人が飛び込んできた。ジェニファーと呼ばれた彼女はいたずらっぽく笑うと、腰に手を当てて俺をまっすぐ見返す。
「専門家じゃないのはすぐわかったわ。さっきの崖道の歩き方からね。かといって見たところ出張中の日本人ビジネスマンって雰囲気でもないけど。そう、その陽に焼けた顔とか…」
「バード・ウォッチャーって人種は人間に対してもそれだけの観察眼を発揮するんですね。俺の醜態を観察なさってたってわけですか、灯台あたりから」
俺の差し出した手を握り返しながらジェニファーはくすくす笑った。いかにも学生っぽい、屈託のない笑い方だった。
「その空港での事故というのは爆弾テロだそうです。到着便の荷下ろし作業中に荷物の一つが爆発したんだとニュースで言っていました。ミサキが乗って来た便です」
俺は肩を落とした。その手の話になると、やつはむしろ被害者より加害者になりかねない。誰の犯行か知らないが、その爆発が岬を狙ったものだったとしても俺は驚かない。あるいは岬が誰かを狙ったものだったとしても、だ。
「で、俺への伝言ってのは岬自身からだったんですか?」
「そうです。到着が遅れることと、あなたのことを頼まれました。あなたの訪英の目的について、です」
それは手回しのいいことで。どんな理由であれ、あいつが遅刻を早々と知らせて来るとはずいぶん律儀になったものだ。あいつも歳相応になったということか。
ウィンスローはいったん言葉を切るとポケットから革表紙の手帳を取り出した。両掌にそれをはさんだまま、じっと俺の目を見つめる。
「あなたが会見を申し出ておられる人物はここの湾をはさんで反対側の岬に住んでいます。彼は普段は自宅に閉じこもっていて外部の人間との接触を絶っていますが、月に一度、村に姿を見せます。市が立つんです」
「市…?」
「このへんでは買い物もままなりませんからね。近辺の村から農産物や日用品を持ち寄って開かれる市は生活に欠かせないんです」
彼は1人でふらりと現われ、ゆっくりと時間をかけて買い物をするのだそうだ。村人に言わせるとこのあたりの1人暮らしの老人と同じく、買い物よりもそうやって他人と触れ合うのがたまの楽しみという風情らしい。
「1人暮らしなんですか?」
「通いの使用人が1人います。彼の家に通じる道はないので、小船で岬の突端まで行くそうです。食事などはその使用人が毎日世話しているのでしょうな」
俺はちょっと考え込んだ。その老人こそが俺の追っているある事件にもっとも深く繋がっているはずの人物だった。元国連事務次官ウィリアム・N・ローバン。4年前に引退して遠くイギリスの田舎に引きこもってしまったことを知った時、俺は何か勘に引っかかるものを感じたのだ。
俺はすぐさま岬のデータバンクに――もちろん無断で――アクセスし、手掛かりが何かないかと調べようとした。岬はあっさりそんな俺の首根っこを押さえたのだが、理由を話すとなぜか協力を申し出てきたのだ。
もちろんそれがあいつのボランティア精神だなんて信じるほど俺はおめでたくはないが、やつの下心に目をつぶってでも、俺はローバンに接触したかったのだ。
こうして岬はフランスのどこかから、俺はヴァージニアの山中からここイギリスの片田舎で落ち合うべく相談をまとめたのだったが、さて、のっけからこの騒ぎとなると、やはり先行きは楽観できそうにないな。
俺は再び相手の顔に目を戻した。
「で、あなたなら彼に会えるようにしていただけるわけですね」
「ええ、ただし確証があるわけではありませんよ。私はミサキの熱心な要請にちょっとした好奇心を持っただけですから。つまりローバン氏が住んでいるあの岬の家はかつて私の祖父のものだったんです」
「ほぉ…」
俺は思わず声を上げてしまった。岬のチェス仲間だというこの男がどこまで岬の正体を知っているのか、それはわからない。しかもチェスと言ってもオンライン対戦の相手だと言うから、直接面識があるかどうかも疑わしい。
「お茶、飲みますか」
話の途中でウィンスローは席を立った。これがこの国の習慣というなら俺はあえて反対はしない。正直俺は腹が減っていた。
俺はちょっと考えてから立ち上がってウィンスローを追った。ホールから4、5段の階段を下りるとそこがダイニングだった。いや、正確には大テーブルがでんとその中央に置かれた台所である。ウィンスローはやかんを手に振り返って照れたように笑った。
「あなたにはアンラッキーでしたね。着いたその日がセルフ・ケータリング・ナイトだったなんて」
なんとまかないのおばさんの休日が毎週金曜日と決まっているのだそうだ。自炊日。まあそういう考え方もあるわけだ。特に長期滞在の客たちにとっては自炊くらい苦ではないらしい。はるばる地の果てまで鳥を見に来るような連中には、これもキャンプの延長みたいなものなのだろう。
「ティーバッグですみません。お茶のカンがどうしても見つからなくて」
ウィンスローはまるでそれが英国人全体の恥であるかのように恐縮してカップを差し出した。俺は愛想よくそれを受け取る。
「なあに、このひどい旅の果てにありつく一杯になら、外のカモメ達だって文句は言わないでしょう」
「あれはカモメなんかじゃありませんけど」
カップをそのまま口に運びかけた俺は、背後からの声にあわてて背を伸ばした。
「シロカツオドリって言っていただきたいわ。あるいはカワウ」
「ジェニファー、ソリマチ・サンは専門家じゃないんだ。それに今のはたとえ話じゃないか」
ウィンスローは大げさに両手を広げて苦笑して見せた。振り返った俺の目に、長いブロンドを後ろでひとくくりにしただけのそっけない服装の、しかしなかなかの美人が飛び込んできた。ジェニファーと呼ばれた彼女はいたずらっぽく笑うと、腰に手を当てて俺をまっすぐ見返す。
「専門家じゃないのはすぐわかったわ。さっきの崖道の歩き方からね。かといって見たところ出張中の日本人ビジネスマンって雰囲気でもないけど。そう、その陽に焼けた顔とか…」
「バード・ウォッチャーって人種は人間に対してもそれだけの観察眼を発揮するんですね。俺の醜態を観察なさってたってわけですか、灯台あたりから」
俺の差し出した手を握り返しながらジェニファーはくすくす笑った。いかにも学生っぽい、屈託のない笑い方だった。
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・ もくじ ・
■ 登場人物
■ まえがき
第1章 サイレン
1 2 3
第2章 登頂
1 2 3 4
第3章 ゴールに続く道
1 2 3 4
第4章 鳥たちは還らない
1 2 3 4 5
第5章 インタビュー
1 2 3(終)
■ まえがき
第1章 サイレン
1 2 3
第2章 登頂
1 2 3 4
第3章 ゴールに続く道
1 2 3 4
第4章 鳥たちは還らない
1 2 3 4 5
第5章 インタビュー
1 2 3(終)
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はじめに
四つ子の事件簿シリーズです。
時期は一気に飛んで、四つ子たちは30歳過ぎになっています。その点では番外編的な位置かな。
舞台はイギリス。またいつもと違って反町の一人称で書かれています。
連載は15回の予定。では最後までどうぞよろしく。
・ ・ ・ ・ ・
ものすごくお待たせしました。続きをお送りします。
舞台はイギリス。またいつもと違って反町の一人称で書かれています。
連載は15回の予定。では最後までどうぞよろしく。
・ ・ ・ ・ ・
ものすごくお待たせしました。続きをお送りします。
最新コメント
おわりに
ようやく完結です。10年以上もかかるなんて。お待たせしてしまい、申し訳ありませんでした。回数も延びて全19回となりました。
推理ものとしてガバガバではありますが、海外ミステリーの雰囲気だけでもお楽しみいただけたら幸いです。ありがとうございました。
推理ものとしてガバガバではありますが、海外ミステリーの雰囲気だけでもお楽しみいただけたら幸いです。ありがとうございました。
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